シュレディンガーの「生命とは何か」を読んで、人工生命の事を考え、NTTICCの展示を振り返る
ICC キッズ・プログラム 2024 キミ( ).コード( ).セカイ( )の展示が無事終わりました。避雷は「うまれる,かかわる,またうまれる,」という作品を展示していました。デカいプロジェクションマッピングに、センサを取り付けたような作品です。大きな展示を実寸で動かさないと得られないような知見や小細工を色々学べて楽しかったです。来てくださった皆さんはありがとうございました。ご縁が無かった方はまたの機会に。 あと今年度に入ってコロプラがやっているクマ財団というクリエイター奨学金も頂いています。合宿楽しかったです。 さて、NTTICCのキッズ・プログラムにはいくつかワークショップなどがあり、一応話す内容を適当に用意しておくか~と思っていたのですが、残念なことに予定が合わずお流れになってしまったので、その供養も含めて最近の僕の制作の立ち位置やALIFEで興味があることについてざっくばらんにお話していこうと思います。とりとめのない感じになりますが、お許しください。 お恥ずかしいことに、つい最近シュレディンガー先生の「生命とは何か」を読みました。 さて、「生命とは何か」という本は理論物理学者であるシュレディンガー先生が生物の定義について語った一連の公開講義を元に作られている本であり、専門書とはまた違った毛色を持っています。もちろん編集はされているのですが、感情的な概念を排して書かれている数学書などと異なり、この本にはシュレディンガー先生自身の割と抒情的な文言がそのまま記述されています。特に面白いのが、シュレディンガー先生が理論物理学者でありながらも生物のトピックについて語っていることへの言い訳を色々述べている点です。ちょっと見てみましょう。 私はまずはじめに、生物学、その中でも特に遺伝学の情勢を手短かにまとめて説明しなければなりません。すなわち、私が十分通暁していない一つの問題について、今日知られているところを、かいつまんで話さなければなりません。これは何ともやむをえないことなので、私の要約に素人の生嚙り的なところがあることを、特に生物学者に対してお詫びする次第です。 シュレーディンガー; 岡 小天; 鎮目 恭夫. 生命とは何か-物理的にみた生細胞 (岩波文庫) (p.37). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. … ここで重ねて、私が生物学者ではないことを諒承してそのつもりで聴いて下さるようにお願いします。 シュレーディンガー; 岡 小天; 鎮目 恭夫. 生命とは何か-物理的にみた生細胞 (岩波文庫) (p.62). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. … ただし、生物学者の大多数により支持されている見解を私が正しく解しているとしてのことですが。 シュレーディンガー; 岡 小天; 鎮目 恭夫. 生命とは何か-物理的にみた生細胞 (岩波文庫) (p.66). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. …メチャクチャ予防線張ってますね。どうやらシュレディンガー大先生をもってしてもマサカリは怖いらしいです。オモロ。この人は一体なんでそんなビクビクしながら専門外である生物学の領分に突っ込んできているんだ、という疑問についてはシュレディンガー先生自身が前書きにてこう語っています。 われわれは、すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望を、先祖代々承け継いできました。学問の最高の殿堂に与えられた総合大学(university)の名は、古代から幾世紀もの時代を通じて、総合的な姿こそ、十全の信頼を与えらるべき唯一のものであったことを、われわれの心に銘記させます。しかし、過ぐる一〇〇年余の間に、学問の多種多様の分枝は、その広さにおいても、またその深さにおいてもますます拡がり、われわれは奇妙な矛盾に直面するに至りました。われわれは、今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得されはじめたばかりであることを、はっきりと感じます。ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能に近くなってしまったのです。 この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないようにするためには)、われわれの中の誰かが、諸々の事実や理論を総合する仕事に思いきって手を着けるより他には道がないと思います。たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです。 シュレーディンガー; 岡 小天; 鎮目 恭夫. 生命とは何か-物理的にみた生細胞 (岩波文庫) (pp.6-7). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. なるほど、専門性が深まるにつれて、各分野の断絶も進む、分野全体を見渡すことが難しくなる、というのは割とあらゆる属性の組織における課題であるように見えますが、シュレディンガー先生も同じような悩みを抱えていたみたいです。 実をいうと私はこの本に大変な勇気をもらっています。だってシュレディンガー先生も予防線を張りながら多分野横断に挑戦していた、という事実、なんとも素敵です。総合的な学術への憧憬は、学問に携わるすべての人が多かれ少なかれ持っているものなんじゃないでしょうか。インターネットでは「素人は黙っとれ…」とかよく言われますけど、きっと本当にやりたいことがあるのであれば予防線張ってビクビクしながら下手の横好きやっちゃったって実は良いのでしょう。シュレディンガー先生もやってたんだから。雑に渡りましょう、分野。雑に張りましょう、予防線。 というわけで、偉大なるシュレディンガー先生の威を借りて、専攻では普通に超音波などを使った研究をしているボンクラ工学修士の僕も、雑に生物学及び人工生命の話をしていきましょう。そろそろ申し開きをやっていく必要が出てきたところですし。池上高志先生あたりに見つかったら大人しく首を差し出すことにしましょう。 NTTICCで展示したのは「うまれる,かかわる,またうまれる,」という作品です。これは泡という現実に多く存在する「泡」という閉曲面をモチーフに、(現実がそうであるように)多層的に閉じたシステムを表現した作品になっています。 ALIFEを方法論として用いた制作は、2022年のPARCO P.O.N.D.で展示していた「並列計算される遺伝子」を皮切りに、これで4作品目*1となります。 「雨上がりの庭」をイメージした仮想生命の生態系シミュレータを作りました!
はじめに

シュレディンガー先生、予防線を張る

NTTICCでの展示について
フェロモンによって隊列を組むアリ、巨大なミミズ、植物の花粉を媒介する蝶々などたくさんの仮想生物群がGPGPU技術により個々に思考しリアルタイムで生態系を営む様子を観察できます。 pic.twitter.com/vimTzVXQpy
私の作品群は主に、
- 創発性を有するアルゴリズムを作品に導入し、鑑賞者はおろか制作者も制御/予測が出来ないようなシステムを構成する
- 複雑系というフレームワークを通して物理空間における自然の魅力を計算器空間に写し取り、その心地よい揺らぎを持って計算器空間により豊かさ/安息をもたらすような作品を生み出す
といったことを目的としています。人工生命はこの目的に正に合致しており、制作に積極的に活かしているのですが、では自認が人工生命研究者であるかといわれると割とそんなことは無くて、あくまでも方法論として人工生命を採用している、という側面が強いと認識しています。
シリーズの一貫性としてビジュアルのトンマナをある程度揃えているので全然気づいてもらえないのですが、実は全作品アルゴリズムなどを再設計しています。これは、僕なりの進化の非エルゴード性への示しの付け方というか、「なっちゃったんだからしょうがない」的に人工生命を設計する、というのを大事にしているためです。
ここで軽く人工生命について紹介しましょう。人工生命とは、プログラム・ロボット・化学物質など何らかのプラットフォームの上で生命(の部分要素)をシミュレートすることによって、実際の生命を支えるシステムについて研究する学術分野の事を指します。あとで詳しく述べますが、コンウェイのライフゲームなんかが有名ですね。
人工生命=ALIFE自体はそれなりに歴史をもっている分野です。ジョン・フォン・ノイマンとスタニスワフ・ウラムがセルオートマトンを作ったのが1950年代、ジョン・ホートン・コンウェイがGame of Life(以下ライフゲーム)を作ったのが1970年代、クリストファー・ラングトンが一連の取り組みの事をALIFEと命名したのが1980年代と、実はざっくりともう50年ほどの歴史があります。逆に言うと、ALIFE自体はかなり手垢のついたトピックであり、ライフゲーム単体を適当にお出ししたところで際立った新規性といったものは特にないわけです。
一方で、僕の作品とか、dialog()の永松さんの作品(Ephemeral Cohesion)*2とか、あるいはALIEN*3といった作品が比較的驚きを持って迎えられているのは非常に面白いと思うのですが、僕はコレには計算技術の発展が大きな役割を果たしているのではないかと考えています。 利用可能な計算資源の増大やGPGPU技術の発展によって人工生命の解像度やシミュレーションの速度が大きく向上した結果、例えばたくさんの人工生命間の相互作用をシミュレート出来るようになったり、人工生命の各個体に生き物っぽいすがたかたちを与えることが出来るようになったり、これまで離散化せざるを得なかった時空間の要素について連続としてみなすことが出来るようになったり*4、ただシミュレーションを見守るだけでなく、鑑賞者とのインタラクションを実現することが出来るようになったりといったことが可能になりました。その結果として、これまで「なんとなく生き物っぽい」くらいにとどまっていた人工生命が空間的・時間的・数的に我々と同じスケールで動作するようになり、そこにある種の生々しさが急速に立ち上がってきているのではないかと考えています。
ALIFE分野では「人工生命を生命たらしめる最後のピース」を、Rodney Allen Brooks*5の名を取って「Brooks’s Juice」などと呼んでずっと追究しています。ライフゲームもルンバも、なんとなく生命の部分要素を感じるものの、生命であるかと問われると「そうではないかな…」という気分になると思います。この、ライフゲームやルンバと生命それ自体を分ける(最後の)要素をBrooks's Juiceと呼んでいるわけです。過去から今に至るまで、人工生命の目的の一つはこのBrooks's Juiceを探すことにあるのですが、現在でもBrooks's Juiceとは何か?という問いに明快な答えは出ていません。私としては、先人が色々試行した結果まだ答えがわかっていない以上、新しいことをバンバン試してみるべきだと思っていて、増大した計算資源を利用してようやく出来るようになったこと、例えばセンサを通して私たちと同じ時間スケールで私たちと同じ空間に影響を与えるような仕組みを作ったり、実際の生命と同じように、たくさんの別個体の存在がある環境で相互作用のネットワークを形成してみたり、といったことが重要なのではないかと考えています。
というわけで、「人工生命」自体は今更感があるトピックであることは否めない一方、「我々と同じ空間的・時間的・数的スケールで人工生命を動かす」というのは正に最近ようやく出来るようになったことで、これまでの文脈を踏まえた上で今現在でもホットな分野であると思っています。
とはいえ、僕の立ち位置としては、先に述べたようにあくまで「人工生命」を方法論としてみなしている側面が強く、後述するChaotic Satisfying Thingsの一つとして積極的に採用している、というのが正直なところです。人工生命自体を研究することに強い興味があるというよりは、人工生命や、カオスや、創発的なシステムを使って心地よい予測不可能性を計算器空間に持ち込むことに興味があります。
とはいえ小難しい話を鑑賞者に無理に理解してもらおうとは全く思ってなくて、まずは表層的で直観的な部分を楽しんでほしいです。流れる川の美しさを体感するのにナビエストークス方程式を導出する必要はないのですから。群れがまとまって動いている様子とか、次の一瞬が全然予測できない感じとか、その中に身を投げて時間発展をかき乱す感じをボケーッと楽しんでもらえれば良いと思っています。なんだかんだ言ってもガキんちょ共が喜んでくれればそれで充分なんですよね、正直。
息子と現在ICCで開催されている「キミ( ).コード( ).セカイ( )」へ。多くの素晴らしい体験型展示があり、息子もとても楽しんでいた。展示は明日8/25まで。 pic.twitter.com/TqzDp31XyT
— Masayuki Daijima (@daijimachine) 2024年8月24日
けんけんぱ。 pic.twitter.com/9Nvblg1G1W
— you tanaka (@rettuce) 2024年8月12日
ICC キッズ・プログラム 2024「キミ( ).コード( ).セカイ( )」本日よりスタートしました。今日は子どもが来場し「👦まだ遊ぶ〜」と3時間も楽しんでもらえて(笑)とても良い展示が企画できたこと改めて実感しました。ぜひたくさんの方にご来場いただきたい、です!
— Shunsuke Takawo 🐌 (@takawo) 2024年7月23日
.@NTTICC https://t.co/FhUTJWOE9A pic.twitter.com/F6VF8ZMta4
会期中に皆さんが上げてくださったはしゃいでいる若者のクリップ、非常に励みになっていました。ありがとうございます。
Chaotic Satisfying Things
例によって2022年の「並列計算される遺伝子」以降はALIFEっぽいことやってくれ、みたいな依頼が結構多いので人工生命の人、みたいな認識をされているのかもしれませんが、僕個人の興味の範囲は、「計算器を用いて人間に心地よい体験を生み出す」こと全般にあります。これはALIFEよりかなり広い領域で、例えば2022年の「無限ピタゴラス」とか2024年の「錯覚都市計画」とかもプロシージャルに心地よい体験を作る、という点では一貫した活動であると思っています。
人間にとって心地よい、という属性について、特に視覚という観点で言うと、ここ数年で多く聞くようになったSatisfying Thingsという概念が存在します。Satisfying Thingsは工場の作業ラインや、高圧洗浄機による汚れた物体の清掃など視覚的になぜか心地よい映像を総称する言葉です。詳しい話はこの土屋泰洋さんの記事が詳しいのでこちらをぜひ読んでみて欲しいのですが、ピッタリと反復している感じや人間の認知モデルの通りに動く物体を見ると、ヒトは心地よさを感じるみたいです。
僕個人としては最近は計算器によって心地よい体験を生み出す、に加えて更にそれらが一回性を持つ⊃初期値鋭敏=カオスであるものに強い関心を持っています。したがって僕の興味範囲についてはSatisfying Thingsにカオスであるという形容詞Chaoticを付けてChaotic Satisfying Thingsであると言えます。カオス性を持つSatisfying Thingsの一例がまさに人工生命だと思うのですが、それ以外に例についてもある程度思いついてはいるのでその辺は今後の制作で示して良ければと思っています。
ピッタリとした反復に起因する心地よさとカオス的振る舞いがどうやって両立するのかというのは中々興味深い問題であるように見えますが、こちらについてはおそらく人間の認知が局所的な連続性や反復性に強く注目する性質を持っているためだと考えています。ちょうどペンローズ・タイル*6とかが一見周期的にみえるように。
というわけで、心地よい連続性や反復を維持したまま一回性をもたらすような仕組みを作るために、今後はカオスをうまく使っていくような感じになると思います。
ライフゲーム・(スキ|キライ)
人工生命系の制作を見せた時に割と「あー、ライフゲームの現代版みたいなやつね」という感想を頂くことが多いです。概ね正しいです。人工生命は明らかにコンウェイのライフゲームから始まっていると言っても過言ではありません。しかし、現代においても人工生命=ライフゲームと雑にみなしてしまうことには、いくつかの微妙な点があることもまた事実です。ここではライフゲームそれ自体の紹介は省き*7ライフゲームを取り巻くぶつくさについて紹介していこうと思います。
お前は神から愛されなかった/イコンを捨てたSCP財団
かなり衝撃的な事実ですが、実のところライフゲームの開発者であるコンウェイはライフゲームの事をあまりよく思っていなかったらしい、ということがわかっています。コンウェイは数学において非凡な成果を残した研究者ですが、彼自身はその功績をライフゲームが覆い隠してしまっている、と認識しているようです。実際Numberphileによるインタビュー動画では冒頭から、
Well, I used to say, and I'm still inclined to say occasionally, that I hate it, I hate the Game of Life. I don't really, at least I don't anymore.
と述べています。かなり強くライフゲームについて応答することに対する疲弊感を主張しています。
続く動画内でも、コンウェイは自身の功績が常にライフゲームに紐づけられてしまうことにもう心底うんざりしている様子が語られます。
whenever my name was mentioned with respectn to some mathematics, it was always the Game of Life. And I don't think the Game of Life is very very interesting. I don't think it was worth all that, I've done lots of other mathematical things. So I found the Game of Life was overshadowing much more important things and I did not like it.
制作者をもってして「そんなに面白くないと思う」とまで言わせしめたライフゲームを今でも人工生命研究の代表のように見なしてしまうことの良し悪しについては、少し考える余地がありそうです。
話は変わりますが、SCP財団というものをご存じでしょうか。SCP財団はCreepy Pasta*8を起源に持つシェアードワールド投稿サイトで、現代インターネットホラーに多くの影響を与え、今日に至ってはもはや名前を聞かない日はない、くらいの流行を見せているサイトです。SCP財団はライセンスとして基本的にCC BY-SA 3.0を採用しており、その規約に従うところにおいては非営利・営利問わずその利用が許可されています。唯一の例外(CC BY-SA 3.0ではない創作物)として最近まで存在していたのが、SCP財団というサイトの起源でもある「SCP-173」 のイメージ写真です。
コンテナ内部、汚れた床の上に佇む不気味な彫像のイメージは、現在ではインターネットに長く触れてきた人間であれば少なくとも一度は見たことのあるネットミームとなってしまっています。*9このイメージはもとはというと作家である加藤泉氏による「無題 2004」という彫刻作品でした。これは、CC BY-SA 3.0が付与された作品では決してなかったのですが、作家自身の厚意によって商用利用をしない限りにおいてSCP-173の写真としての利用を許可されていました。
しかしつい最近になって、SCP財団の運営メンバーは極度のミーム化による印象の乗っ取りと、悪質な商用利用を看過できないとしてSCP-173のページから該当写真を自主的に削除しました。彼らは作家に対するリスペクトを元に、自身の起源の一つとも言えるイメージを削除する選択をしたのです。現在、SCP-173のページにはなんのイメージも掲載されていません。現在のSCP-173の姿は、個々の想像にゆだねられています。*10

これと同様のことがライフゲームにも言えるのかもしれません。確かに人工生命の歴史をライフゲーム抜きに語ることは難しいでしょう。しかし、そろそろライフゲームを人工生命と等号で結んでしまうようなものの見方はもうやめるべきなのかもしれません。
Reminiscence Syndrome(連想症候群)
人間にはどうやらライフゲームの様々なパターンを認識する際、複数の時間的・空間的スケールをゴチャゴチャに認識してしまう傾向があります。簡単な例を見てみましょう。
コレはグライダー。ライフゲームにおいて一定の方向に移動を続けるセル群です。

ライフゲームの特性(生き物の振る舞いを模倣したセルオートマトンであるという話)を聞いた上でこのセル群を観た時に感じるのは、おそらく「一塊の生き物が動いている」というものでしょう。実際、上に述べたインタビューでコンウェイ自身もグライダーという命名を少しばかり後悔しつつ、
I wish I called it an ant, it just walks across the plane.
と述べています。しかし、実のところここに誤謬と思しきものが存在します。それは時間的スケールに関する誤謬です。我々は今グライダーの振る舞いにアリのようにトコトコ歩く生き物の姿を見出しています。ところで、ライフゲームの更新式はどのように設定されたものだったでしょうか?よくまとまっているのでWikipediaの更新式の項を引用すると、
ライフゲームでは初期状態のみでその後の状態が決定される。碁盤のような格子があり、一つの格子はセル(細胞)と呼ばれる。各セルには8つの近傍のセルがある (ムーア近傍) 。各セルには「生」と「死」の2つの状態があり、あるセルの次のステップ(世代)の状態は周囲の8つのセルの今の世代における状態により決定される。
セルの生死は次のルールに従う。
誕生 死んでいるセルに隣接する生きたセルがちょうど3つあれば、次の世代が誕生する。
生存 生きているセルに隣接する生きたセルが2つか3つならば、次の世代でも生存する。
過疎 生きているセルに隣接する生きたセルが1つ以下ならば、過疎により死滅する。
過密 生きているセルに隣接する生きたセルが4つ以上ならば、過密により死滅する。
と書いてあります。コンウェイ自身も先の動画で、生物の生き死にをベースに更新式を定めていると述べています。したがって、グライダーの移動は本来次のように説明されるべきです。
- グライダー頭部(進行方向部分)に新しいセルが誕生する
- グライダー末尾部(進行方向と逆側)のセルが死滅する
つまり、グライダーは「生きること」「死ぬこと」を繰り返して移動しているとみなすべきなのです。これは多くの多細胞生物の移動プロセスとは時間スケールも原理も全く異なります。我々やアリは移動の際には筋肉を駆動させ移動します。歩く際には前に足を出し、重心を移動させることで全身の座標を変動させるのであって、前方に新しい足を生成し、古い足を死滅させることで移動するのではありません。アメーバですら、身体をゲル・ゾル質に変質させることで自身を移動させることが知られています。以上の理由からライフゲームは、例えば集落全体の移動など、時間的・空間的に非常に大きなスケールでの移動についてのメタファーとしては有用であったとしても、生物の個体の移動のメタファーとしてこれを用いるのは、「ただ似ている」以上にはあまり意味の無いことだと考えられます。
僕の好きな文章にFrom Perplexity To Complexityというのがあって、これは科学ジャーナリストのジョン・ホーガンによる1990年代当時の複雑系研究の事を批判的な視点で述べた記事なんですが、当然人工生命なんかにも矛先が向いたりしています。この中で僕が特に好きな一節があって、
Too many simulators also suffer from what Cowan calls the reminiscence syndrome. "They say, 'Look, isn't this reminiscent of a biological or physical phenomenon!' They jump in right away as if it's a decent model for the phenomenon, and usually of course it's just got some accidental features that make it look like something." The major discovery to emerge from the institute thus far, Cowan suggests, is that "it's very hard to do science on complex systems."
うーん、辛辣ですが、"Reminiscence Syndrome(連想症候群)"、これは中々的を射たネーミングです。シミュレーションの中でAっぽくに見える現象A'を、例えばAとは異なる原理で動いていたり、偶然Aに見えるだけであったりという可能性を排除して、そのまま「これはAに違いねぇ!」と雑に結論付けてしまうのはシミュレーションで遊んでいると割とやってしまいがちなミスでしょう。
そういったうかつな勘違いが、ライフゲームの各セルの見立てには多く含まれてしまっているように思われます。
時空間の離散化・格子法の限界
ライフゲーム(というかセルオートマトン)は時間的・空間的に非常に大雑把な離散化が行われている手法の一つです。各セルは生き死にという二つの状態しか持たず、それらの更新は一斉に行われることになります。そのため、例えばセル同士の生き物の密度を計算したり、複数種類の生き物が同時に存在したり、生物の一部が突然変異して新しい生物になるような系をシミュレートする場合には、適切な拡張を行って、セルの持つ状態を増やしてあげる必要があります。
各格子に様々な存在が混在する状態を表現したものとしては、例えば流体計算の手法の一つである格子ボルツマン法が思い浮かびます。これは空間をグリッドに区切り、それぞれのグリッドにそれぞれの方向に向かう(速度を持った)粒子が何個あるか、という分布を全部記録し、隣接空間からどの速度の粒子がどれだけ入ってくるかを見ていくことで格子の状態を更新する手法です。芦原,2011*12より引用するとボルツマン法の更新式は次のようになっています。


まぁ当然といえば当然なんですが、状態数にたいして更新式の複雑さも増大していきます。同様のことが拡張したライフゲームにも言えて、例えば突然変異によって新しい状態の生物が生まれる度に、更新式を増やしていく必要があるので、多様な生物が存在するような系にライフゲームというか、格子に何らかの状態を持たせる手法は今一つ向いていないようです。
近年はParticle Life*13とか、Particle Lenia*14とか、保存則や複数種類の存在の相互作用なんかを表現するために粒子法的な手法を採用するシミュレータも増えているので、こちらを追ってみるのもなかなか面白いと思います。
人工生命とAI
共進化する二つの分野
人工生命の隣接分野にAIが居ることに否定の余地はないでしょう。実際に人工生命とAIには相互に発展してきた歴史があります。例えば深層学習の再評価以前は自然と生物の間の散乱-選択モデルを再現した遺伝的アルゴリズムなどが幅を利かせていましたし、一方で最近では深層学習の発展によってこれまでは困難であった自己復元力をもったセルオートマトンを作成出来るようになったり*15、効率的にロバストなセルオートマトンのパターンを探索したり*16、といったことが可能になっています。
LLMとオープンエンドな進化
人工生命とAI、という文脈では最近は特にLLMが強い注目を浴びているように見えます。LLMを利用することでテキストに蓄積した現実空間に対する膨大な知識を利用可能である、という点が、多様な進化を考えるうえで非常に相性が良いからでしょう。LLMを用いたエージェントの作成などは池上研究室などでも行われており*17、進化の研究におけるLLMの有用性については、多くの人が可能性を感じているように見えます。
カウフマンは自身の著書「WORLD BEYOND PHYSICS:生命はいかにして複雑系となったか」で進化の過程で生命が環境と関わる方法を列挙し尽くすことが困難であることを根拠として「(オープンエンドな)進化のシミュレーションの実現は難しい」といった旨を述べています。

例として木の枝を見てみましょう。一言で「木の枝を使う生き物」といってもその用法は多岐にわたります。鳥類は枝を羽休めや巣の土台として使い、蜂の一部は枝にぶら下がるような形で巣をつくります。またチンパンジーはアリの巣に枝を突っ込みアリを取り出して食べることが知られています。このように、木の枝一本取っても生物とのかかわり方は非常に多岐にわたります。これらの生物と物体とのかかわり方すべてを列挙することは難しいため、進化のシミュレーションは不可能である、とカウフマンは述べているのです。確かに、地球上のすべての物体について例えばその用法一つ一つをタグ付けする(例えば枝なら「折れる」「持てる」「ぶら下がれる」など)、といったことは難しそうです。しかし、LLMを使うことで文章として記述された世界についての知識を有限のメモリ空間で利用可能となります。例えばChatGPTに「生存に有利に働くような木の枝の使い方を教えて」と尋ねるとつぎのような答えが返ってきます。
動物にとっても木の枝は生存に役立つ多用途の道具です。以下にいくつかの使い方を紹介します:
巣作り:
多くの鳥や小型哺乳類は、木の枝を使って巣を作ります。枝は巣のフレームとして使われ、葉や草、泥などと組み合わせて温かく安全な巣を作ります。 食料の収集:
一部の動物は枝を使って食べ物を収集します。例えば、チンパンジーやオランウータンは枝を使って蚊の巣を突っついて食べたり、ハチの巣を掻き出したりします。また、鳥は枝を使って昆虫を探すことがあります。 巣穴の補強:
一部の動物、例えばビーバーは、枝を使って堤防や巣穴を作り、その安全性を高めます。枝を組み合わせて堤防を作り、周囲の水位を調整したり、天敵から身を守るための強固な巣を作ります。 防御手段:
一部の動物は枝を使って防御的な手段を講じます。例えば、鳥は枝を使って巣を守るための警戒区域を作ったり、ウサギは枝を使って巣穴の周囲に障害物を作って天敵から身を守ったりします。 遊びや学習:
若い動物は枝を使って遊び、狩りや社会的なスキルを学びます。例えば、サルやクマは枝を使って遊び、社会的な相互作用や探索行動を通じて学びます。 寄生虫の除去:
一部の動物は枝を使って体の寄生虫を取り除きます。例えば、キツツキは木の枝を使って体の寄生虫を取り除くために木を叩いたり、皮膚をこすったりします。 マークやテリトリーの表示:
一部の動物は枝を使ってテリトリーを示すためのマークをつけることがあります。例えば、鹿や狼は枝や木の皮を引っかくことで自分のテリトリーを示すことがあります。 これらの利用方法は動物の種類や環境によって異なるため、具体的な状況に応じた工夫がされています。
なるほど、有限のメモリ空間を明け渡すだけで、世界についての情報を柔軟に取り出すことが出来ていそうです。
一方で、LLMは人間の記述した文章から構成されているため、これら世界についての記述はあくまで人間の環世界に束縛されたものであることに注意が必要です。人間の言語には例えば「エコロケーションで仲間を発見できた時の安心」とか、「紫外線を反射し輝く羽の美しさ」などを表現する語彙は存在しないため、LLMに「コウモリであるとはどのようなことか」「モンシロチョウであることとはどのようなことか」というのを主観的に語らせることは難しいでしょう。僕個人は、この言語の「人間の環世界に束縛される」という特性から言語による自然の説明というのはかなり無力であると思っているので、人工生命のコンテクストではボトムアップに(センサの単位から)環世界を構成していく手法の方が好ましいと感じています。最も、現在は人間以外の動物におけるコーパスの制作や感情分析*18なども進んでいると聞くので、そのうち潜在空間を経由したマルチモーダルな環世界間変換のようなものが実現可能になるかもしれませんが。とはいえすべての応答を見逃さないようにするには全細胞の状態間の写像を作る必要があるんじゃないかなぁ…
「非人間中心主義」
「非人間中心主義」、最近資料とか書くときによく使っている言葉なんですが、斜め読みするとエコロジー系の文脈に見えるということに友人に指摘されて最近気づきました。流行ってますもんね、エコロジー。ただ僕は制作においてとエコロジー的なコンテクストとの接続はあんまり意識していなくて、「『人間』という動作主体であり続けるのは緊張して疲れるだろ、休もうぜ」だったり、「『人間』抜きで創発的かつ閉じたシステムが動いているといいよね」とかいう意図で使っていることが多いです。
今の計算器空間ってリクエストーレスポンス構造に偏っていて、例えば計算器に対して1+1の答えをコンソールに表示するプログラムの実行を要請するにしても、urlをinput fieldに打ち込んで指定のウェブページを表示するリクエストを送信するにしても基本的にユーザの動作が先にあり、それに対して計算器が応答する、という状態が基本となっています。言い換えると現代の計算器はインタラクティブ(相互作用的)をうたってはいるものの、その実態は基本的にリアクティブ(応答的)に近いものとなっています。そのため、人間は常に動作の開始点であることを強いられてしまいます。計算器空間を絶えず動かすために、常に自分も動き続ける必要があるというのは、本来我々の身体が存在する物理空間において自然現象が自分の動作と関係なく作用し続けることを考えると、人間にとってかなり不自然でしんどいものではないでしょうか。
そこで、人工生命を筆頭に、自然が持つ創発的な振る舞いをベースに、計算器空間に心地よいゆらぎや、予想できなさ、勝手に動く何かを作っていくことによって、人間と計算器のかかわり方や、計算器を通した人間同士のかかわり方をより優しく、「自然体」なものにしたい、というのが僕のモチベーションとなっています。
この辺はドミニク・チェンさんたちが非常に良い対談をやっていたり、最近渋谷でやっていたジェネラティブアートの展示会dialog()でも素晴らしいトークショーが行われていたのでぜひご覧になってみてください*19。
今後の制作でも、何か人間の関与が無くても活動している閉じた系があり、そこに人間がちょっとだけ関わることが出来る、という塩梅を常に保っていきたいと思っています。あくまでも主体は人間(鑑賞者)ではなく、閉じた系(人工生命群)であり、人間は望むならばその一部として、他の存在と関わっても構わないという感じ。
野良猫的人工生命
これまではいわゆる展示室的な、ハレ的な空間で展示を行うことが多かった作品群ですが、本来は人間社会の日常、いわゆるケに近い場所での展示を行いたいと常々考えています。生命というのは結局のところそれが生息する環境とワンセットな存在なので、ホワイトキューブのような境界線を定め背景を意図的に抹消するプロセスそれ自体が生命から遠ざかる行為なんじゃないかなと思っています。展示室にいけば常にいる、というのもあんまりよくないですよね。最終的に作りたいのは動物園的な在り方というよりは、きちんと相互作用の余地があるような状態なので、展示場所に向かったけど出払ってて何もいない、とかあってもいいし、逆に展示室にはいるんだけど全然作品の事を真面目に鑑賞していなくて、「なんか視界の隅で泳いでるなァ」、みたいな状況も良いんじゃないかなと。
最近、僕の考える理想の人工生命作品を表すときに「野良猫的」という語をよく使っているのですが、野良猫のようにこちらの都合を一切気にせず気まぐれに動いていて、何しているのかも良くわからず、しかし主体的にガンガン動くような活力に満ちており、それゆえに偶に自分の生活圏に入ってくるとなんとなく嬉しい、というような存在に人工生命を位置づけていきたいと考えています。 将来的には町のあらゆるところに気まぐれに人工生命が居て、彼らの振る舞いを人間が利用・観察することによって何らかの情報(や情報未満の「虫の知らせ」のような何か)を得たり、暮らしをより滑らかにする、というような仕組みを作っていくことが、現在の目標となっています。ひとまずは公共の場にあるディスプレイなんかをうまいこと乗っ取って色々実験したいですね、案件お待ちしています。
「何の役に立つの?」
人工生命を用いた作品を制作していて「何の役に立つの?」というのも良く聞かれる質問です。ある生命を指して「何の役に立つの?」という問いかけをすることは無いと思うのですが、人工生命は最後の一滴が足りずまだ手放しに生命とは認められていないので、どうしても何の役に立つのかを問われてしまいます。僕個人としては特に人工生命が人類社会にとって特に大きな役に立つ必要はないと思っているのですが、せっかくなので社会を人工生命で満たす/人工生態系を構成することのメリットなどについていくつか考えてみることにします。理想論を語っているので、実装可能性についてはかなり無視していることにご留意ください。
媒介者としての人工生命
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とある動物様の人工生命が街の中を泳いでいる。この人工生命は床平面を自由に動き回ることが出来る生き物で、ある程度の斜面なら上っていくことが出来るが、段差を乗り越えることは出来ない。彼らは繁殖の時期になると高いところを目指す習性がある。高所にて交配を行い、その胚を位置エネルギーに任せて放流し、遠くまで子孫を広げるのだ。ある日、あなたは自分のオフィスのあるビルの前の階段で繁殖期の彼らが立ち往生しているのを見かける。彼らを可哀そうに思ったあなたは、その辺の備品を使って即席のスロープをこさえる。立ち往生していた人工生命は、あなたの作ったスロープを使って階段を上り、どこかへと消えていった。彼らがあなたの善意に気づいていたのかはわからないが、なんとなく良いことをした気になったあなたは、そのまま業務を始めた。
別の日、車いすユーザのクライアントがあなたのオフィスビルを訪れる。クライアントはあなたが人工生命のために拵えてそのままにしてあったスロープを使い、オフィスビルへと入っていく。
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この例では、人工生命との交流の中で自発的にバリアフリー的な生活圏が構成される様子が描かれています。バリアフリーの観点で難しいことの一つが、どこまで干渉的であるべきか、という問題です。例えば過干渉気味になってしまうといわゆる「余計なお世話」になってしまったり、困難を抱える人の主体性を剥奪してしまうことになったり、かといって、全てを当事者が自主的に行えるような仕組みで全てを解決しようとすると、本来は環境側を変化させる必要があるのに困難を抱える人にデバイスをゴテゴテ付けていく、いわゆるdisability dongle*20的な解決策に突っ込んだりしてしまうわけですね。僕は当事者研究については全くの素人なので、正しく的を射ているかはちょっとわからないのですが、人工生命が介助を必要とする人と、介助を実装する人の間に立つことで、両者の間に負い目や責任感などを感じさせることなく、自然な形でより住みよいように環境を適応させることが可能であると考えています。
環世界の拡張としての人工生命
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とある植物様の人工生命が街の中に根を張っている。この人工生命は夜間にもわずかなエネルギーを集め、同じ遺伝子を持つ家族の中でやりくりするために、街灯の真下にコロニーを作り、そのコロニー同士をツタ状の部位で接続する特性を持っている。そうやって、街灯から少しばかりのエネルギーを得つつ、それを家族の中に行きわたらせているのだ。この生物の構成するネットワークは長い時間を使ったことで有機的な最適化がされており、近い街灯同士の間を適切に接続するようなグラフを形成している。あなたは飲み会帰りの帰り道、すっかり人通りのなくなってしまった帰り道を、それでもこの人工生命のツタを辿っていくことで真っ暗な通路を避けて、比較的明るい、電灯の近くを歩いて帰ることが出来る。ツタを利用することでただ単純に視界に映った電灯に向かって歩くよりもすこしだけ安全な帰宅ルートを検討することが出来る。
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この例では人工生命との交流によって疑似的に環世界を拡張する様子が描かれています*21。古来から動物の様子を観察することによって人間の感覚を拡張する、みたいな事例は多く存在します。例えばネズミがソワソワしているのを見て天変地異の到来を予測したり、蛍が集まっている水源を見かけて、この水は澄んでいるぞ、と思ったり。これらは本来人間に存在しない機能を動物の観察によって拡張しているわけです。そもそもの話をすると、我々の細胞内にあるミトコンドリア*22も、元は異なる細菌だったものを取り込んで細胞内で共生することで得た器官であると言われています。
このように異なる生物と共生することによる人間の機能の拡張や、環世界の拡張は昔から今に至るまで盛んにおこなわれています。今あげた例は自然に存在する生物との共生の例ですが、これと同じように街中に存在する人工生命と共生関係を結ぶことで、人間の環世界が拡張されて、より環境に対して柔軟にふるまうための補助として機能する、といった用途で人類の役に立つことが出来るかもしれません。
単純なセンサではないことの意味
どちらの場合でも人工生命は他者や環境との間に立ち、それらの距離を調整し、より円滑かつ柔軟に人間や環境を変容させていく際の触媒として作用する、と言えそうです。これは正に多様な種から構成される生態系において各々の種の持つ役割に似ています。人工生命に溢れた街を作る、というのは、物理自然とはまた異なるアルゴリズムで動く又別の自然2、あるいは計算器自然とも呼べるものを作るということに匹敵しそうです。
ここであり得る反論のひとつとして、「人工生命なんかにしなくても、センサを街中に付けて、それを人間が閲覧可能にすれば良いじゃん」というものを考えてみます。例えば段差センサみたいなものを色んな所に取り付けて、段差がありますよ、改善してくださいみたいな内容の通知を人間に送る、みたいなシステムでもいいじゃん、みたいな。これは物事を無用に複雑にするな、というエンジニアリング的な観点から見ると極めて正当な意見であるように思えます。
ただ一方で、人工生命的にそういった仕組みを作っていくことのメリットも明確にあると思っていて、それは人間が関与するまでもなく、自己改善を行うようなシステムが構築可能となる、という点です。人工生命は相互作用可能かつ主体的に行動する能力を持ったものとして設計されるため、例えば段差を上がりたい人工生命が別種の人工生命と協力して段差にスロープを建造してしまう、みたいな人間が介在しない創発的なやり取りが行うことが出来ます。生存と種の反映という共通の報酬関数を持った人工生命の種群が互いにインセンティブを提示し合い、結果として環境を媒介とした協力関係のネットワークが構成される、みたいなことが起こり得るわけです。しかも、過去の進化計算の事例などを見るとこのネットワークは人間が直接設計するよりもはるかに複雑で精緻なものになり得る可能性を十分にはらんでいます。これはまさしく生態系というか、カウフマンの言うところの「ニッチを創出し合う」みたいな世界観にも通じてくると思うのですが。この話は逆からも出来て、自己改善可能な仕組みを持った複数のセンサを協調させる、みたいなことをどんどん拡張していくと、それは必然的に人工生命による生態系と言えるものになるでしょう。 ともかく、人間と共生するような性質を持ちつつ、その生態について過度に設計しすぎない、みたいなあり方で人工生命を設計し、実際の物理空間の中で動かしていけるとかなり面白いものが見られるようになるんじゃないかなぁ、とか思ったりしています。
おわりに
なんとなくまとまりが無い感じになってしまいましたが、大体最近考えている内容については書いた気がします。こうやってみると意外と東洋的な思想が自分の中で強くあるんだなァとか、そういう気づきがあって面白かったです。普段考えを書くみたいなことをやってなさすぎて、いざ書こうとすると適当な卒論くらいの分量になってしまったのが良くなかったです、シンプルに読みづらいし、テーマごとにこまめに発散していった方が良いかもしれないですね。思弁進化論とか、ランナウェイ現象とか、スティグマジーとか、まだ考えてみたいことは色々あるのでまた何か書きたいです。引き続き製作は続けていく予定なので、よろしくお願いします。
*1:「並列計算される遺伝子」「たがいにかかわりあういのち」「シャーレの中のX」「うまれる,かかわる,またうまれる,」
*2:https://highlight.xyz/mint/66acc46751d3011557156ea7
*3:https://www.alien-project.org/index.html
*4:Bert Wang-Chak Chan; July 13–18, 2020. "Lenia and Expanded Universe." Proceedings of the ALIFE 2020: The 2020 Conference on Artificial Life. ALIFE 2020: The 2020 Conference on Artificial Life. Online. (pp. pp. 221-229). ASME. https://doi.org/10.1162/isal_a_00297
*5:ロボットの目的と機能を階層的に構築するSubsumption Modelを提案し、あのルンバを開発した研究者
*6:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB
*7:wikipediaなんかにお譲りします→ライフゲーム - Wikipedia
*8:インターネットにおける都市伝説などを総称する単語
*9:後に述べる道徳的理由を尊重し、このサイトでは画像の掲載を行いません
*10:https://x.com/scpwiki/status/1488632389668524032
*11:https://conwaylife.com/wiki/Main_Page
*12:蔦原 道久, 格子ボルツマン法の基礎と応用, 日本機械学会論文集B編, 2011, 77 巻, 784 号, p. 2367-2378, 公開日 2011/12/25, Online ISSN 1884-8346, https://doi.org/10.1299/kikaib.77.2367, https://www.jstage.jst.go.jp/article/kikaib/77/784/77_784_2367/_article/-char/ja
*13:https://github.com/hunar4321/particle-life これペーパーないの?
*14:https://google-research.github.io/self-organising-systems/particle-lenia/
*15:Mordvintsev, et al., "Growing Neural Cellular Automata", Distill, 2020.
*16:Gautier Hamon, Mayalen Etcheverry, Bert Wang-Chak Chan, Clément Moulin-Frier, Pierre-Yves Oudeyer. Learning Sensorimotor Agency in Cellular Automata. 2022. ⟨hal-03519319⟩
*17:Ilya HORIGUCHI, Takahide YOSHIDA, Takashi IKEGAMI, Strategy evolution using natural language between LLM agents, Proceedings of the Annual Conference of JSAI, 2024, Volume JSAI2024, 38th (2024), Session ID 3Xin2-85, Pages 3Xin285, Released on J-STAGE June 11, 2024, Online ISSN 2758-7347, https://doi.org/10.11517/pjsai.JSAI2024.0_3Xin285, https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjsai/JSAI2024/0/JSAI2024_3Xin285/_article/-char/en,
*18:これは僕が好きなネズミの表情から感情解析する論文 Benoit Girard, Camilla Bellone ,Revealing animal emotions.Science368,33-34(2020).DOI:10.1126/science.abb2796
*19:特にこの対談は英訳の"More than Human"が素晴らしいと感じています。More than Human(人間以上)という語は人間だけを例外視せず、他の生命なども対等に扱う主義を指す語でもあるので
*20:https://www.moguravr.com/metaverse-special-meaning-of-disability/
*21:すいません、あまり良い例ではないかもしれません、あとで変更するかも…
*22:ATPの産出などを担うオルガネラ(細胞小器官)の一つ

